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花房浩一コラム:音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜第20話 - 無茶苦茶をやっていた学生時代の始まり。死に神もあきれた?あわや昇天の事故を経て、ジャズに向かう?

筆者

10代から音楽にはまって、約半世紀で買い集めた音盤は数万枚。それを残して死ねるか!? と始めた断捨離に苦悶する、音楽ジャーナリスト・花房浩一の連載コラム、第20話。無茶苦茶をやっていた学生時代の始まり。死に神もあきれた?あわや昇天の事故を経て、ジャズに向かう?

「んぎゃぁ〜」と泣き叫ぶこともなく、台風の真っ只中、停電で真っ暗闇の深夜0時1分に半死状態でこの世に生まれ落ちたときから、何度も「死にかけた」ことがある... らしい。幼少の頃のことなんぞ、自分にはほとんど記憶がないんだが、おふくろから幾度かそういった話を聞いている。なんでも、トラックに轢かれたこともあって、失明しかけた事故もあったという。割り箸の先っちょにあめ玉が付いている、ロリポップの類いを手にして遊んでいたときに転倒して、その先端が目のあたりを刺したんだそうな。そこから血が噴き出して、血まみれになっている自分を抱えて母親はバスで病院に向かったとか。電話が家庭に普及する以前の時代で、救急車を呼ぶこともできず。極貧だったこともあり、タクシーに払う金もなかったんだそうな。怪我をした場所がわずかに眼球をそれていたこともあり、大事にはいたらなかった。

 さらには、祖母や叔母、従兄弟たちと一緒に小豆島へ家族旅行をした小学生の頃、島から本土に向かう帰りのフェリーに乗り遅れたんだが、その船が事故で沈んだなんて話も聞いている。あん時は、「あんたのせいやで、ぐずぐずするからや!」と叔母かおふくろにこっぴどく怒られたように記憶しているんだが、いわゆる「災い転じて」なんとやら。もし間に合っていたら、おそらく、犠牲者のひとりとして記録が残っていたはずだ。

40数年分のギャップを埋める筆者
ちょうどこの左の写真を撮影した頃かなぁ、無茶をやっていたのは。大学構内のほぼ同じ場所で全く同じTシャツに、似たようなジーンズとサンダル、そして、アングルで40数年後に撮影した写真を重ねてみた。もちろん、右のはかなり加工していて、こんなに足が長いわけではない。

 危機一髪ってのを、それから幾度も経験していくことになるんだが、その際たるものが無茶をやっていた学生時代の事故だろう。ある日、先輩から「山ん中のダートのコースを走らんか」と、ラリーのまねごとをする誘いを受けて、「行く行く」と、彼のホンダN360に乗って夜遅く旭川沿いを北上。脇道から山に入っていた。先輩がひとっ走りしたあと、「俺にもやらせてもらえんか?」と運転交代。シートベルは義務化されてはいなかったけど、さすがに危険を感じていたんだろう、しっかりとベルトを装填して運転し始めていた。

 ライトを消すと全くなにも見えない漆黒の世界。曲がりくねった山道をけっこうなスピードで走るんだけど、免許を取ってしばらくの頃、アクセルとブレーキを同時に踏みながら、ギアを落とす... なんてレーサーのまねごとをして喜んでいた身の程知らずには、これが面白かった。そして、けっこうなスピードで突っ走っている時、あるカーヴで事件は起きた。シフトダウンをしてスピードを落としたんだが、予想を遙かに越えてひとまわりするような道を曲がりきることができずに河原に転落。まるでスローモーションで転がっていくのが見えたようにも記憶しているんだが、1〜2回転して、二人が宙づり状態で車が止まっていた。フロントガラスは大破してガソリンが漏れ出している。しかも、あと30cmほど前に迫っていたのはでっかい岩。もう少しで自分の身体がぐちゃぐちゃになっていたかもしれない、そんな事故だった。

「やべぇ、下手したら引火するぞ」

 と、ガソリンの臭いでむせるなか、大急ぎで車から這い出していた。呆然としながらも、引火の可能性がなくなったことを確認して、真っ暗闇を歩き出していた。もちろん、スマホなんてない時代。懐中電灯もなかった。わずかな月明かりを頼りにおおよその位置を考えて、とりあえずは街に向かっていると察する夜道をとぼとぼと歩いていた。

1977年のライヴより、ライ・クーダーの「Stand By Me」。バックにテックスメックスの巨人、フラコ・ヒメネスの姿が見える。前年に発表した名作『Chicken Skin Music』(MS 2254)に収録された素晴らしいヴァージョンのライヴ。

 可愛い女の子とふたりだったら、「スタンド・バイ・ミー」の世界なんだろうけど、一緒に歩いているのは車を壊された先輩。当然のように切れている。しかも、秋も深まってけっこう寒かった。どれほど歩けば人家がみつかるのか、途方に暮れていたとき、初めて目に入った人家の軒先に停まったタクシーが天からの救いだった。文字通り、「やったぁ!」と声を上げて、二人は必死にタクシーに向かって走り出していた。そして、目指したのは大学の仲間の下宿だったか、あるいは、寮だったか。車持ちの友人に頼み込んで、現場にとんぼ返り。事故った車をロープで河原から引き上げて、大学構内に牽引するんだが、その車から後ろを見ると、凍えそうな表情でハンドルを握っている先輩の姿が見えた。この時は... 顔向けできないなぁとかなり落ち込んだものだ。それからしばらくの後、彼には手頃な中古車を探し出して、勘弁してもらったんだが、今でも、実に申し訳ないと持っている。

 演劇部の先輩だった彼はギターの名手で、カントリーやブルーグラス系の曲を一緒に演奏したりもしていたけど、同じ演劇部の先輩からクラリネットを譲り受けたことがきっかけで買ったのがクラリネット奏者、北村英治とピアニストのテディ・ウイルソンが録音した『テディ・ミーツ・エイジ』(PA‐3021〜22)というアルバムだったことは以前書き残している。なにげにジャズが気になりだしたのがこの頃かもしれない。といっても、あれは「クラリネット」を知るのが目的で、ジャズを意識してのことではなかった。それ以前も『グレン・ミラー物語』や『ベニー・グッドマン物語』なんて映画がお気に入りで、グレン・ミラーの『リジェンダリー・パフォーマー』(RA - 9041~42)なんてアルバムも持っていたけど、これは戦前戦後、最も人気のあるポップスというニュアンスの方が強い。マイルス・デイヴィスがラッシュを見ながら即興で演奏した音楽で有名になった、フランス映画『死刑台のエレベーター』で感じたようなジャズとは全く異質だった。

 ところが、大学生になると、知的なものにあこがれて、背伸びするようになる... ってことなのかもなぁ。そのニュアンスにぴったりだったのがジャズだった。なぜフォークやロックじゃないのか? そこに理由も理屈もなにもなかった。ただ、単純にそう感じて、そこになにやら「知的な大人」の世界が広がっているように思えたに過ぎない。単純な好奇心ってやつなんだろう。といっても、知識は皆無でなにから手をつければいいのか、全くわからない。というので、「ジャズに詳しい」という先輩を探し出して「ジャズ、教えてくれますか?」とお願いすることになる。すでに名前なんぞ覚えてはいないんだが、ちょいときざなめがねをかけたお金持ってる感ありありの先輩。3畳一間の間借り学生には眩しすぎるぐらいの自宅の応接間にあるオーディオ装置でいろいろ聞かせてもらうことになる。

「まぁ、初心者だったら、このあたりかなぁ...」

 と、聞かせてくれたのはオスカー・ピーターソンのアルバムだったように記憶しているけど、タイトルは覚えてはいない。おそらく、エド・シグペンとレイ・ブラウンとのトリオで演奏した『Night Train』(V6-8538)かサム・ブラウンにボブ・ダーハムにギタリストのハーブ・エリスが加わった『Hello Herbie』(MPS 15040)あたりではないかと思う。

オスカー・ピーターソン・トリオの演奏で1964年に撮影されたデンマークでのライヴ映像。ベースはレイ・ブラウンで、ドラムスはエド・シグペン。前年に発表された名盤『Night Train』(V6-8538)と同じ布陣での演奏となる。

「でも、これを聞いていると、ブルース・ピアノとの違いが、よ〜くわからんのですわ」

 なんて口にしていた。どこかで「軽い」と感じていたのかしら? ず〜んと両面ビンタされるような衝撃を期待していたんだが、そういったものを一切感じない「軽音楽」に聞こえていた。当時から好きだったオーティス・スパンのピアノと比較するのが間違っているのかもしれないが、それほど魅力を感じることはなかった。他には、知らない人はいないだろうというほどの名盤、ジョン・コルトレーンの『Ballads』(AS-32)も聴かせてもらったように記憶している。でも、求めていたものが違ったんだろう、「勉強になりました」と彼の家を後にしていた。

 で、そこからどう転がったかというと、いきなりフリー・ジャズだった。ひょっとすると、初めて生で体験したのが、山下洋輔トリオだったことに端を発しているのかもしれない。普通最初に手を伸ばすとすれば、コルトレーンなら、『My Favorite Things』(Atlantic1361)や『Giant Steps』(SD 1311)あたりが定石だろうし、マイルス・デイヴィスなら、とりあえずは『Kind Of Blue』(CL 1355)や『Milestones』(CL 1193)といった名盤だろう。ところが、いきなり買ったのは、オーディオ・メーカーのトリオが立ち上げていたレコード会社から発表されていたシリーズ。Freedomというレーベルから発表されていたもので、印象的なジャケット写真に魅せられたのか、3〜4枚ほど購入していた。セシル・テイラーの『Nefertiti』(PA-9708)やポール・ブレイの『Touching』(PA-9712)にアルバート・アイラーの『My Name Is Albert Ayler』(PA-9709)が続く。特に、アイラーのこのアルバムには生涯忘れられないほどの衝撃を受けていた。

Freedom Labelの4作品
1974年から75年にトリオ・レコードからシリーズで発表されたFreedomレーベルの作品の数々。上段がアルバート・アイラーの『My Name Is Albert Ayler』(PA-9709)と『Ghosts』(PA-9710)で、下段が左からセシル・テイラーの『Neferititi』(PA-9708)とポール・ブレイの『Touching』(PA-9712)。おそらく、オリジナルのジャケットで発表されていたら、手を出すことはなかったと思う。あの当時は...

 巻頭に聞こえてくるのは、まだどこかでナイーヴな若者を感じさせる声で語られる、彼の半生。それがフェイドアウトしていくときの「I feel free, real free...」という彼の声に重なるように飛び出してくるサックスに背筋がゾッとしたものだ。身体の奥底から絞り出すような呻きや叫びにも似た響きを持つ音で、いきなりその世界に吸い込まれていく。「バイバイ・ブラックバード」というスタンダードなんだが、BGMのように流して聞くのは不可能。面と向かって対峙せざるを得ない強烈な吸引力を持っていた。特にA面最後の「サマータイム」は圧巻で、ロック・ファンにはおなじみの、ジャニス・ジョプリンによるヴァージョンなど、あれ以降数え切れないほど聴いてきたんだが、これを越える衝撃には未だに出会ったことがない。おかげで、彼の作品を集め出すんだが、すでにこの時、彼はこの世の人ではなかった。1970年11月25日にハドソン川に浮かぶ彼の死体が発見されている。どうやら、自殺だったとする説が有力らしい。

アルバート・アイラーの名作『My Name Is Albert Ayler』。コペンハーゲンの放送局で録音されたものらしい。この時、バックでベースを演奏しているのは、若干16歳だったというニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン。なお、このジャケットはUK盤のもの。

 その頃、岡山市内で有名なジャズ喫茶というと、オーディオ好きには憧れのパラゴンを使っていたShine(シャイン)が筆頭ではなかったかと思う。が、なぜかここに入ったことがない。それよりも、文化センターというちっぽけなホールのそばにあるイリミテと呼ばれる店に入り浸るようになっていた。たまたま、当時つきあっていた女性と立ち寄ったのが最初かなぁ。後に懇意となるんだが、マスターはつっけんどんとして愛想が... ない。当初はそれがよかった。ここで流されていたのは強烈な個性を持ちながらも、押しつけがましさを感じさせない、透明感のある音楽。全く未知の音楽で「それ、なんですか?」っと尋ねるところから、彼と話すようになっていったのかもしれない。

ECMレーベルの名作たち
ジャズ喫茶「イリミテ」を通じて惚れ込むことになったECMレーベルの名作の数々。上段はキース・ジャレットの『My Song』(国内盤PAP-9101)とユニークなベース奏者、エバーハルト・ウェーバーの『Yellow Fields』(ECM 1066)。そして、下段はラルフ・タウナーの『Song Of The Shadows』(国内盤PAP-9083)にパット・メセニー・グループのセルフ・タイトル作(ECM1114)。いずれも名盤で、絶対に手放せないアルバムの数々。

 ここで出くわしたのがドイツのレーベル、ECMだった。一番の有名どころは、キース・ジャレットで、彼が1978年に発表した『My Song』をここで何度聴いたことか。とんがった音が印象的なヤン・ガルバレクのサックスと透き通ったようなキースのピアノとの絡みが好きで、これを聞いていると、心が和んでゆったりした気分になれる。それにラルフ・タウナーやパット・メセニーといったギタリストの作品との出会いもここだ。前者の『Solstice』(ECM 1060 ST)で、まるで音楽という水の流れに浮かんでいるような気分を感じて、後者がバンド名義のセルフ・タイトルで発表した『Pat Metheny Group』(ECM 1114)ではド頭の曲で一気に北欧に連れて行かれるような感覚に陥っていた。中心となっているアーティストがヨーロッパ人ではないのに、なぜか北欧を感じさせる音作りが魅力だったように思う。

 今、振り返れば、日頃接することができない異次元の音楽への扉を開けてくれたのがここだった。シュトックハウゼンから武満徹の現代音楽に触れて、その流れで琵琶や尺八の深遠な世界に触れることもできた。ブライアン・イーノあたりが口にしていた環境音楽の入り口もここだ。フォークやカントリー、ブルーグラスにトラッドからロックにジャズを通り抜けて、得体の知れない音楽の世界にまた一歩足を踏み入れることになる。音楽のジャンルだとか、スタイルなんぞどうでもいい。自分が引き込まれるか、吸い込まれるか...それだけのことだった。

 それでも、仲良くなったマスターは、お客がいなくなって、二人だけになると、いきなりロッド・スチュワートの『Every Picture Tells A Story』(6338 063)あたりをレコード棚の奥底から引っ張り出してきて、聴かせてくれたものだ。

「これじゃぁ、これじゃぁて」

 と、岡山弁丸出しの彼が、実は、ジャズやクラシックだけではなく、幅広い音楽を聞き続けてきたというのがよくわかる。サンタナの名盤『Caravanserai』(KC 31610)や『Borboletta』(PC 33135)の魅力も、このお店のオーディオで再発見したような記憶がある。

 実を言えば、このマスターが作ってくれたのが、今もうちにあるスピーカー。なんでもドイツのエグザクトというメーカーのユニットで16cmのダブルコーン、フルレンジと、実にシンプルなんだが、それを入れる箱も彼の製作。これがいい音で鳴ってくれるのだ。さすがに、大好きだったお店の音には遙かに及ばないが、その世界を少し再現してくれるサウンド。一時、コーン紙がぼろぼろになって、「もうお釈迦かなぁ」と処分しようとしたときに助けてくれたのが、フジロックのPAを担当している友人。彼がそのコーン紙を補修してくれて、箱の穴に長さを調整した筒を突っ込んでベストの音が出るように改良してくれた。嬉しいねぇ、持つべきものは友達よ。おかげで40年以上にわたってこのスピーカーが、あのお店で聞いた音楽をベストな音で鳴らしてくれるのだ。

 なお、このお店はとうの昔になくなって、あの音を聞くには頑固で天の邪鬼なマスターの自宅を訪ねるしかなかったんだが、彼も数年前に他界。残された奥さんを幾度か訪ねているんだが、ここにある彼のオーディオ装置が「あの音」を今も鳴らし続けているのが嬉しい。


レコードシティ限定・花房浩一連載コラム【音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜】は毎月中旬に更新です。 次回更新は12月半ばを目指します。お楽しみに!

 


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花房浩一・音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜


花房浩一

花房浩一

(音楽ジャーナリスト、写真家、ウェッブ・プロデューサー等)

1955年生まれ。10代から大阪のフェスティヴァル『春一番』などに関わり、岡山大学在学中にプロモーターとして様々なライヴを企画。卒業後、レコード店勤務を経て80年に渡英し、2年間に及ぶヨーロッパ放浪を体験。82年に帰国後上京し、通信社勤務を経てフリーライターとして独立。
月間宝島を中心に、朝日ジャーナルから週刊明星まで、多種多様な媒体で執筆。翻訳書としてソニー・マガジンズ社より『音楽は世界を変える』、書き下ろしで新潮社より『ロンドン・ラジカル・ウォーク』を出版し、話題となる。
FM東京やTVKのパーソナリティ、Bay FMでラジオDJやJ WAVE等での選曲、構成作家も経て、日本初のビデオ・ジャーナリストとして海外のフェス、レアな音楽シーンなどをレポート。同時に、レコード会社とジャズやR&Bなどのコンピレーションの数々を企画制作し、海外のユニークなアーティストを日本に紹介する業務に発展。ジャズ・ディフェクターズからザ・トロージャンズなどの作品を次々と発表させている。
一方で、紹介することに飽きたらず、自らの企画でアルバム制作を開始。キャロル・トンプソン、ジャズ・ジャマイカなどジャズとレゲエを指向した作品を次々とリリース。プロデューサーとしてサンドラ・クロスのアルバムを制作し、スマッシュ・ヒットを記録。また、UKジャズ・ミュージシャンによるボブ・マーリーへのトリビュート・アルバムは全世界40カ国以上で発売されている。
96年よりウェッブ・プロデューサーとして、プロモーター、Smashや彼らが始めたFuji Rock Festivalの公式サイトを制作。その主要スタッフとしてファンを中心としたコミュニティ・サイト、fujirockers.orgも立ち上げている。また、ネット時代の音楽・文化メディア、Smashing Magを1997年から約20年にわたり、企画運営。文筆家から写真家にとどまることなく、縦横無尽に活動の幅を広げる自由人である。

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