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花房浩一コラム:音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜第8話 - 15歳で初体験した生のロックで心臓ばくばく、耳はキ〜ン

10代から音楽にはまって、約半世紀で買い集めた音盤は数万枚。それを残して死ねるか!? と始めた断捨離に苦悶する、音楽ジャーナリスト・花房浩一の連載コラム、第8話。
15歳で初体験したロック・コンサートで心臓ばくばく、耳はキ〜ンとなって、ぶっ飛ばされるのだ。

「自分のもの、ほしいものは、自分で稼いで買う。これが自由への道や!」

 反抗期ってんでしょうなぁ、10代になると、何度も父親と大げんかをして、幾度も家出を試みたことがある。が、それが打ち止めとなったのは、おふくろが口にした決定的な一言が理由だった。

「あんたが着てるパンツもシャツも、誰が買うたと思てんねん。出ていきたいんやったら、すっぽんぽんで行き!」

すでにバイト三昧だった15歳の筆者(まだ幼い弟とのツーショット)

 と、以前にもその話をしたことがあるんだが、確かに理にかなっている。と、その時は思ったもんだ。が、その結果どうなったか... というと、「それなら、自分で稼げばええわけや。いつでも出て行ける」という、小生意気なガキを成長させるきっかけとなってしまうのだ。おかげで春休みや夏休みになるとアルバイトを探して小遣い稼ぎをするようになっていたのは中学生の頃から。確か、学校は認めてはいなかったと思うんだが、友人の親がやっている鉄工所で旋盤工の見習いをやらせてもらったのが皮切りだ。削れ落ちた高熱の鉄くずで、けっこうな火傷を体験したりもするのだが、働くのは楽しかった。さらに、稼いだ金を好き勝手に使えるってことの味を占めたんだろう、いろんなバイトを繰り返し、学校ではなかなか学ぶことができない社会勉強をしていくことになる。当時「フエルアルバム」ってのでヒットを出し始めていた会社の工場で働いたときなんぞ、自衛隊出身の班長が、まるで軍隊気分で部下をいじめている「大人の仕事場」も体験。おそらく、このあたりから制服系(自衛隊や警察)の人間が嫌いになったんだろう。

 そうやって稼いだ金をなにに使ったか... ほぼすべてが音楽に関わっていた。そんなバイトに加えて、親から昼飯代をもらっても、空腹のまま我慢したり、あるいは、一番金のかからないパンと牛乳で済ませたり... ってことをしながら、こつこつと小遣いを残していたのはいうまでもない。その時点でステレオは持っていなかったので、そのほとんどがレコードに化けていくのはもう少し先のこと。でも、最初の大きな買い物がトランペットとなり、その次はライヴのチケットへと変化していく。

 自分の人生にとって初めてのコンサートが、ちょうど半世紀前の1971年6月。大阪フェスティヴァルホールで開かれたシカゴだった。それまでどういったミュージシャンが来日していたのか? 全く知らないし、覚えてはいない。後に、ビートルズの初来日が... なんて話を知ることになるんだが、その頃小学生だった自分には、ザ・タイガースや・ザ・スパイダースのような「グループ・サウンズのバンドが日本に来た」程度のニュースを見ただけで、とりわけ感慨なんぞなかった。ロック・ファンに言わせたら、「お前にはビートルズ来日の衝撃がわかんないの?」ってことになるんだが、小学生にそんなことを言われてもなぁ... そりゃぁ、無理だろう。

 それはともかく、あれから5年ほどの時を経て、まだ15歳だった自分が、まず最初に感じたことは....「なんじゃぁ、この音量はぁ! めちゃめちゃ音がでかいやんけ!」ってことかしら。うちで聞いていたのはラジオやちっぽけなテレコ。それでも、けっこうなヴォリュームで聴くものだから、「うるせぇ! もっと小さい音で聞け」と、しょっちゅう怒られていたものだが、そんなのかわいい、かわいい。当然ながら、値段の高いチケットは買えないから、確か2階席の奥の方ではなかったかと思うが、それでもいきなり耳がきーんとなるほどの爆音を感じていた。

これは初来日ではなく翌1972年の来日時の模様ですが、雰囲気は伝わるかも。

 奇妙に映るかもしれないが、ロック・コンサート初体験だってぇのに、演奏のディテールなんぞほとんど覚えてはいない。かすかに覚えているのは、なにか曲のイントロでキーボードのロバート・ラムがヴェトナム戦争での爆撃を想起させるようなノイズを出していたことぐらい。それに、爆音と豪快なインプロで圧倒するテリー・キャスのギターのすごさなんてのがあったのかもしれないが、ライヴが始まると一気に音の洪水に飲み込まれたようなものだった。遙か彼方だというのに、ステージから届く音圧で身体を揺すぶられて、最後には踊り狂っていた。

 当時の記録をチェックしてみると、ステージは二部構成でそこにアンコールが加えられた... らしいが、それすら覚えてはいない。ただ、記憶に残っているのはライヴが終わってもなかなか席を立とうとしない観客の姿。ステージの端っこから、それを見つめていたのが、当時、毎日放送の番組かなにかで見かけていたプレゼンターの斎藤努氏で、彼がなんとも言えず嬉しそうな、あるいは、観客の興奮ぶりに感動でもしたかのような表情で突っ立っていたのが忘れられないってのは、なになんだろう。噂では、アンコールを求めた観客が自然発生的に歌い出した、なんてこともあったようで、それが後に「シカゴの奇跡」と呼ばれるようになるのだが、あの日ではなかったように思う。

 あの時の自分の恰好と言えば、フレア・パンツに、襟の広い黄色のシャツ。今、それを見たら「だっせ〜」って感じなんだろう。でも、大人びた恰好をしようと努力した結果がその程度だった。今なら、このあたりのロックに絡んだファンションやスタイルに関する情報なんぞ容易に手に入るし、探すこともできるんだろうが、当時の中学生にはラジオが唯一の情報源。ひょっとしたら、周辺の人達は「変なガキがいるなぁ」なんて、思っていたのかもしれないが、そんなこと、どうでもよかったし、誰もそれどころじゃなかっただろう。

 おそらく、会場にいたほとんどの人達が、初めて生でロックを体験していたんじゃないかなぁ。ロックなんてのは映画やレコードでしか体験できないものに思えた時代。なにせ、日本にはPA機材なんて存在しなかったのだ。だからこそ、当時の来日情報でよく目にしたのは音響機材の重量。今なら笑ってしまうんだろうけど、いつも「総重量何トン」って数字が見出しに踊っていた。逆に言えば、でっかい音が必要とされるロック・バンドの来日は、今とは比較できないほど貴重なものだったのだ。それでも、これを皮切りに、同じ年に、エポック・メイキングなライヴをいくつか体験していくことになる。

日本公演の直後、7月9日にニューヨークのShea Stadiumでのライヴ映像です。

 そのひとつが翌7月のグランド・ファンク・レイルロードだ。会場となったのは、今じゃかけらも残っていない大阪球場。当時の南海ホークスのホームグランドで、ここでも奇跡のような時間が生まれていた。雑誌やメディアの中心が東京だったから、多くの人たちが話題にするのが後楽園球場での消防車騒ぎ。どしゃ降りの雨にオーディエンスの熱気が加わって、蒸気となって会場を埋めたのを煙と間違えたって顛末を語っているんだが、実は、大阪も同じだった。出演したのは「和製ジャニス・ジョプリン」と呼ばれた麻生レミと「霧の中の二人」が大ヒットしたカナダのマッシュ・マッカーン。(なんで「As The Years Go By』というオリジナル・タイトルがこうなるのか?めちゃくちゃな時代でした)いつどんな雨が降ったか... おぼろげな記憶をたどると、最初の前座の時にはそれほどひどくもなかったように思うが、ふたつの目のバンドでどしゃ降りになって、しばらくライヴが中断されることになる。

 複数のバンドが登場するという意味では、日本初の「ロック・フェスティヴァル」みたいなもんだったんだろう。なにやら異様な興奮が会場を包み込んでいた。後に知ることになる黒人のウッドストックと呼ばれたワッツタックスのライヴと同じで、グランドには誰も立ち入ることが許されず、ステージがぽつんとあるだけ。観客はスタンドに押し込められているんだが、そこで得体の知れないドラマが起きていた。チェ・ゲバラの旗を持って客席を走り回る人もいれば、バックネットをよじ登って雄叫びを上げる人もいた。ジーンズにカーキ色のTシャツで出かけた自分は、前回よりも少しはロックっぽかったかもしれない。水浸しになった上着を脱いで、絞るとじゃぁ〜っと水が出てくるほどの大雨。でも、結構長い中断を挟んでメインのバンドが登場すると、ラジオで聞き慣れていたライヴ盤を遙かに超える迫力で彼らがオーディエンスを圧倒していったのは、もちろん、覚えている。

こんな映像が存在するなんて... 驚愕ですね。

 そして、16歳になった1週間後に体験したのが、確か四つ橋厚生年金会館で開かれたレッド・ツェッペリンの初来日公演。これも多くの人たちが「伝説」として語り継いでいるのだが、申し訳ないけど、それほどのインパクトは受けてはいない。逆に、ジミー・ページがヴァイオリンの弓を使って演奏を初めて、ジョン・ボーンナムの延々と続くドラム・ソロで完全に眠り落ちていた... おそらく、この頃から、自分のなかでなにかが代わり始めていたんだろう。

 それでもこの頃生で体験したロックが衝撃だったことは間違いない。今とは違って、海外の情報が日本に伝わるにはかなりの時間を要した時代。同じようなことがアメリカやイギリスではその数年前に起きていた。それは単純に音楽やファッションに限られたことではなく、なにかが急激に変化していたのだ。それを象徴していたのが、それからさかのぼること4年前のモンタレーで開催されたポップ・フェスティヴァルであり、それを記録した映像だったのかもしれない。

 驚愕...  という言葉がふさわしいだろう、あんぐりと口を開けて、目の前で繰り広げられている光景に呆然とする女性たちの顔がアップになるシーンがある。それが1967年のドキュメンタリー映画だった。そこで撮影されたジミ・ヘンドリックスが、最後に名曲『ワイルド・シング』を演奏しているクライマックスでの出来事。まだ轟音が鳴り響くギターをステージに横たえてマッチで火をつける。そして、まるでマスターベーションをしているかのような恰好で、ジッポーの缶を股間あたりに携え、さらにオイルをふりかけながら、炎を大きくしていくのだ。そして、燃えさかるギターを振り回しながら木っ端みじんに破壊する。

 おそらく、この時、ここにいたオーディエンスが体験していたのは、革命と呼んでもいい時代の変化をものの見事に象徴した出来事だった... と、あれから半世紀以上を過ぎたからこそ、冷静にそう描くことができるのだが、もし自分があの現場にいたらどうだっただろう。同じように呆然としていたかもしれない。なにせ、今でもぶっ飛ばされるのが、その時の映像。これまで数え切れないライヴを体験したとは言うものの、これに匹敵するパフォーマンスにはお目にかかったことがない。半世紀以上が過ぎても、その衝撃は微塵も色あせてはいないどころか、なぜロックが人を惹きつけるのかを今でも雄弁に物語っている。

 同じような衝撃が重なったのが1970〜71年。映画『イージー・ライダー』から『ウッドストック』、あるいは、ザ・ビートルズの『レット・イット・ビー』やニール・ヤングの歌の数々が使われた『いちご白書』といった映画を経由して、目の前で爆音で迫るバンドのライヴを見たことが、それ以降の人生を決めていくことになろうとは、その時には微塵も想像していなかった。


レコードシティ限定・花房浩一連載コラム【音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜】は毎月第2月曜日に更新です。次回更新日は12月13日頃を予定しております。お楽しみに!

なお、10月はお休みをいただきました。あしからず、ご了承ください。


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花房浩一・音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜


花房浩一

花房浩一

(音楽ジャーナリスト、写真家、ウェッブ・プロデューサー等)

1955年生まれ。10代から大阪のフェスティヴァル『春一番』などに関わり、岡山大学在学中にプロモーターとして様々なライヴを企画。卒業後、レコード店勤務を経て80年に渡英し、2年間に及ぶヨーロッパ放浪を体験。82年に帰国後上京し、通信社勤務を経てフリーライターとして独立。
月刊宝島を中心に、朝日ジャーナルから週刊明星まで、多種多様な媒体で執筆。翻訳書としてソニー・マガジンズ社より『音楽は世界を変える』、書き下ろしで新潮社より『ロンドン・ラジカル・ウォーク』を出版し、話題となる。
FM東京やTVKのパーソナリティ、Bay FMでラジオDJやJ WAVE等での選曲、構成作家も経て、日本初のビデオ・ジャーナリストとして海外のフェス、レアな音楽シーンなどをレポート。同時に、レコード会社とジャズやR&Bなどのコンピレーションの数々を企画制作し、海外のユニークなアーティストを日本に紹介する業務に発展。ジャズ・ディフェクターズからザ・トロージャンズなどの作品を次々と発表させている。
一方で、紹介することに飽きたらず、自らの企画でアルバム制作を開始。キャロル・トンプソン、ジャズ・ジャマイカなどジャズとレゲエを指向した作品を次々とリリース。プロデューサーとしてサンドラ・クロスのアルバムを制作し、スマッシュ・ヒットを記録。また、UKジャズ・ミュージシャンによるボブ・マーリーへのトリビュート・アルバムは全世界40カ国以上で発売されている。
96年よりウェッブ・プロデューサーとして、プロモーター、Smashや彼らが始めたFuji Rock Festivalの公式サイトを制作。その主要スタッフとしてファンを中心としたコミュニティ・サイト、fujirockers.orgも立ち上げている。また、ネット時代の音楽・文化メディア、Smashing Magを1997年から約20年にわたり、企画運営。文筆家から写真家にとどまることなく、縦横無尽に活動の幅を広げる自由人である。

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