花房浩一コラム:音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜第7話 - 未知の世界を探検すべく、勉強にいそしむ音楽ジャンキー | レコードCDの買取はレコードシティ買取センター【安心・簡単・全国対応】

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花房浩一コラム:音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜第7話 - 未知の世界を探検すべく、勉強にいそしむ音楽ジャンキー

花房浩一|音楽ジャンキー酔狂伝

10代から音楽にはまって、約半世紀で買い集めた音盤は数万枚。それを残して死ねるか!? と始めた断捨離に苦悶する、音楽ジャーナリスト・花房浩一の連載コラム、第7話。
未知の世界を探検すべく、勉強にいそしむ音楽ジャンキー。その片手に握りしめられているのは…何故か、あの楽器?

「先生、そんな言い方、人種差別やないですか!」

 と、中学生の頃、部活でやっていたバスケットボール部の顧問で、歴史の先生が授業で使った言葉に抗議したことがある。まぁ、もともと好きな先生じゃなかったことも、反抗した理由かもしれん。いわゆる、スパルタ教育指向の威圧的な教師で、どこかで戦前教育の残像を感じさせていたのがこの人物。その彼が第二次世界大戦の終わり近くに起きた出来事に関してこう話し始めていた。

「"ろすけ"がな、条約破って、攻めてきよったんや」

 と、言われても、おそらく、今の人にはちんぷんかんぷんやろう。そんな言葉、とうの昔に死語になっているはずだし、ほとんどの人は耳にしたこともないだろう。「露助」と漢字で書くと、わかりやすいかもしれんが、これはロシア人を侮蔑する言い方。第二次世界大戦末期、当時のソ連(ソヴィエト連邦共和国)が日本と相互不可侵を宣言していた日ソ中立条約を破って、南樺太から千島列島へ侵攻してきたことを説明するのに、あの教師はあからさまな敵愾心を見せるように、ロシア人のことをそう呼び捨てていた。

 教師がそんな言葉を吐くなんぞ、今ならあり得ないだろう。今でも潜在的にネトウヨからネトサヨ(なんて言葉があるのか?)的な教師もいるのかもしれないが、こちとら「学校出てから、ん十年」(植木等の名曲『五万節』のフレーズを思い出しますな)。今の教師がどんな雰囲気になっているのか、皆目わからない。でも、今から半世紀ほど前のことはよくわかる。70年安保闘争が吹き荒れていた時代の熱が如実に反映されていたのが義務教育の現場。そこにはかなり右翼的な人もいれば、左翼的な人もいて、おそらく、教職員室ではときおり彼らが喧々がくがくの議論を繰り返していたんだろう。確かに時代は揺れ動いていた。

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 その一方で、そんな政治とは違ったアングルから、時代を反映していた教師もいた。どうやら、非常勤講師だったようだが、腰まで届きそうなストレートなロングヘアーで髭も伸ばしている美術の先生がそのひとり。おそらく、アートでは食っていけないというので、この職に飛びついたんだろう。その出で立ちから想像できるように、彼はおしゃれなヒッピー風で、いろいろなことを好き勝手にさせてくれたものだ。記憶に残っているのはポスターかなぁ。「好きなこと、伝えたいことをポスターにしてごらん」というので、大きな目の中に目玉がいっぱいの絵を描いた覚えがある。元ネタは、当時はまっていた... というより、初めて好きになったロック・バンド、シカゴのデビュー・アルバムに収録されていた曲「Someday (August 29, 1968)=邦題:流血の日」。この歌の途中、1968年8月29日のシカゴ民主党大会に絡んで繰り広げられたヴェトナム戦争反対のデモで、参加者が声を合わせて叫んでいた「The Whole World Is Watching(全世界が見つめている)」という声がSEとして使われていて、これがきっかけになっていた。といっても、その叫び声の裏で実際に何が起きていたのかなんてのは全く知らなかった。反戦集会があり、警官隊との衝突から大規模な暴動事件に発展したことや、パンクの元祖のようなMC5がデモを支援するライヴをやっていた... なんて話を知るようになるのはずっと先のことだ。

勉強の成果を表す、数々の賞状

 なんでそのフレーズに引っかかったのか... よくわからないんだが、振り返ってみ考えてみるに、小学生から中学生になって初めて勉強を始めた英語が、確実に自分の世界を広げていったように思う。もちろん、習い始めの英語で、映画を見たり、音楽を聴いて意味がわかるわけではない。それでも、ときおり意味を知っている言葉やフレーズが出てくるだけで未知の世界を想像できる。それが嬉しかったものだから、勉強が苦になるどころか、どんどん楽しくなっていく。勉強すればするほど、いろいろなものが見えてきて、聞こえてくるのだ。その結果なんだろう、おふくろが大切に保管していた、子供時代の成績表なんぞのなかに「中学校英語暗唱大会」の賞状や「英検3級」の合格証というのがみつかった。そっか〜、そんなことがあったのかぁと思えるほど全く記憶にはないのだが、けっこうまじめに勉強をしていたことはうかがえる。

 といっても、当時の英語教育の中心は読み書きで、なによりも大切とされたのは高校受験に受かること。実際に話して聴く、いわばコミュニケーションをとる道具としての感覚は皆無に近かった。おかげで、それから10数年後に初めて日本を出てイギリスに向かったとき、学校で習った英語が実生活では全く使い物にならないことを身をもって知ることになる。そして、苦虫を噛み潰したような表情で英語を教えていた中学校の教師を思い浮かべて、「あの先生、ふつうに英語は話せないだろうなぁ」なんて思ってしまうのだ。しかも、日本の義務教育で習うのは米語であって英語ではない... その微妙な言葉の違いがわかるようになると、またまた面白い世界が見えてくるんだが、学校教育ではそんなこと鼻も引っかけない。実に残念。

 それはさておき、60年代後半の中学校から高校の教師に関して、おそらく、どこにでもいただろうってのが、一世を風靡した青春ドラマ学園ドラマから抜け出てきたようなタイプだった。最初に大ヒットしたのが夏木陽介主演の『青春とはなんだ』で、続いて竜雷太による『これが青春だ』『でっかい青春』あたりが土台を作り、70年代になると森田健作が『おれは男だ!』をきっかけに3連作で大ヒットを飛ばす。そうなっていなかったら、結果として、彼が後に千葉県知事となることはなかっただろうと察するが、どんなもんだろう。

青春ドラマ『青春とはなんだ』主題歌

 当然のように自分の中学校にも似たようなタイプの先生がいた。ドラマの場合、たいていが体育会系の颯爽とした二枚目だったんだが、なぜかうちの学校では、これが音楽の先生だったというのが面白い。クラシック中心の音楽の授業そのものが、面白いと思ったことはなかったんだが、ある日、彼がフルートを手に廊下を歩いている光景が目に入る。「ほぉ、なかなかいけるじゃん」ってのが、最初の印象で、「よっしゃぁ、それならトランペットやっちゃる」という流れに... なぜかなってしまった。このあたり、無謀にもほどがあると思う。なにせ、音楽に関する知識は皆無。楽器を手にした経験も、リコーダーやハーモニカ以外はない。それなのに、いきなりトランペットなのだ。これも、結局、ブラス入りのロック・バンド、シカゴに惚れ込んだのがきっかけなんだろう。他にも、BST(ブラッド・スェット&ティアーズ)Chase(チェイス)あたりがブラス・ロックと呼ばれて騒がれていたし、そのあたりに魅力を感じていたのは否定できない。また、あの当時、ニニ・ロッソというイタリア人のトランペット奏者の「夜空のトランペット」という曲が大ヒットしているんだが、潜在意識のどこかできっかけとなっていたのかもしれない。

ニニ・ロッソ「夜空のトランペット」

花房浩一、トランペットに挑戦

 当然ながら、底辺労働者の家庭で、親に買ってくれとせがむわけにはいかない。というので、学校の友人の親が経営する鉄工所でアルバイトを始めて、その金に貯金を足して買ったのではなかったかな。ヤマハの初心者用で、あの当時の価格は1万8千円。だったと思うが、定かではない。初めての楽器を手にして大喜びしたのはよかったんだが、そこで問題に直面する。ふつう購入前に考えるべきなんだが、音が大きすぎて練習する場所がない。この時は、おそらく、ミュートを使うとかってことも考えなかったんだろう。結局、うちから歩いて10分ほどの、田んぼが広がる場所に出て、そこで音を出すことになる。完全な独学で1年ほども続けたように思うが、結局、どんなに頑張っても1オクターブ半ぐらいまでしか音を出すことができなくて挫折。かといって、音楽を諦めたわけではない。確か、初めてのロック・コンサートがこの後の自分を待ち受けている。その衝撃がどれほど大きかったか... それは次回のお楽しみ。

 なお、今回まで校正や編集でお世話になった担当者が、事情あって、退職することになった。実に残念。おかげでいろいろ勉強になりました。また、どこかでご一緒できますよう。

 


レコードシティ限定・花房浩一連載コラム【音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜】は毎月第2・第4月曜日に更新です。次回もお楽しみに!

 

 


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花房浩一・音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜


花房浩一

花房浩一

(音楽ジャーナリスト、写真家、ウェッブ・プロデューサー等)

1955年生まれ。10代から大阪のフェスティヴァル『春一番』などに関わり、岡山大学在学中にプロモーターとして様々なライヴを企画。卒業後、レコード店勤務を経て80年に渡英し、2年間に及ぶヨーロッパ放浪を体験。82年に帰国後上京し、通信社勤務を経てフリーライターとして独立。
月刊宝島を中心に、朝日ジャーナルから週刊明星まで、多種多様な媒体で執筆。翻訳書としてソニー・マガジンズ社より『音楽は世界を変える』、書き下ろしで新潮社より『ロンドン・ラジカル・ウォーク』を出版し、話題となる。
FM東京やTVKのパーソナリティ、Bay FMでラジオDJやJ WAVE等での選曲、構成作家も経て、日本初のビデオ・ジャーナリストとして海外のフェス、レアな音楽シーンなどをレポート。同時に、レコード会社とジャズやR&Bなどのコンピレーションの数々を企画制作し、海外のユニークなアーティストを日本に紹介する業務に発展。ジャズ・ディフェクターズからザ・トロージャンズなどの作品を次々と発表させている。
一方で、紹介することに飽きたらず、自らの企画でアルバム制作を開始。キャロル・トンプソン、ジャズ・ジャマイカなどジャズとレゲエを指向した作品を次々とリリース。プロデューサーとしてサンドラ・クロスのアルバムを制作し、スマッシュ・ヒットを記録。また、UKジャズ・ミュージシャンによるボブ・マーリーへのトリビュート・アルバムは全世界40カ国以上で発売されている。
96年よりウェッブ・プロデューサーとして、プロモーター、Smashや彼らが始めたFuji Rock Festivalの公式サイトを制作。その主要スタッフとしてファンを中心としたコミュニティ・サイト、fujirockers.orgも立ち上げている。また、ネット時代の音楽・文化メディア、Smashing Magを1997年から約20年にわたり、企画運営。文筆家から写真家にとどまることなく、縦横無尽に活動の幅を広げる自由人である。

©︎Koichi Hanafusa 当コラムの内容・テキスト・画像等の無断転載・無断使用はお断りいたします。

 

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