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花房浩一コラム:音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜第4話 - 全てを脱ぎ捨て裸一貫、FMラジオを聴きながら、ワルガキ音楽ジャンキーが暴れ出す!

花房浩一 音楽ジャンキー酔狂伝

10代から音楽にはまって、約半世紀で買い集めた音盤は数万枚。それを残して死ねるか!? と始めた断捨離に苦悶する、音楽ジャーナリスト・花房浩一の連載コラム、第4話。
全てを脱ぎ捨て裸一貫、FMラジオを聴きながら、ワルガキ音楽ジャンキーが暴れ出す!

河内弁の悪ガキから、インテリ健康優良児への転身?

 「もう帰ってこんでええ、あんたなんか。出ていき!」

 おかぁちゃんにめちゃくちゃ怒られて、家の外に放り出されると、弟はそのままそこで彼女の怒りが収まるまでずっと待っていたらしい。ところが、自分はと言うと…

 「さぁ、どないしょ。そや、お向かいの友達の自転車乗って、どっか行こう」

 と、いとも簡単に家出をしていた。といって、行く当てもなく、大きな通りに出て、道ばたに座り込んでいただけなんだけど。そんな展開になるとは想像もできなかったおふくろは、血相を変えて自分を探していたらしい。それ以降も、何度か家出を試みるんだが、この体験をきっかけに、おふくろが編み出した戦術は…

 「あんたが着てるパンツもシャツも、誰が買うたと思てんねん。出ていきたいんやったら、すっぽんぽんで行き!」

 というもので、これをきっかけに、家出に突っ走ることはなくなった。が、「それやったら、自分で金を稼げばええんやな」という発想を持つ、生意気なガキに成長したのはもう少し先だったかもしれない。

花房浩一、全裸で家出?!

 「隅っこでじっとしているだけ」のおとなしい幼児が、これほどまでに大きく変化したのは大阪深南部、当時、南河内郡と呼ばれた小学校時代だろう。難波から南海高野線で南に下った萩原天神が最寄りの駅で、ここから歩いて十数分のところにあった府営住宅が成長期の我が家だった。勝新太郎の『悪名』シリーズで有名な河内弁の本場で、ふつうの人たちの会話がまるでヤクザのように響く… という感覚はヤクザ映画の影響かもしれないが、当たらずとも遠からず。そんな世界に岡山弁の子供が入り込めばどうなるか… 当然のようにいじめや嫌がらせに直面する。でも、昔からがたいがでかかったからか、「売られたけんかは買う」タイプで、けんかも平気だった。というので、けっこう不良な暴れん坊になっていった。

 そのおかげで、なにかあったら、必ず悪者にされる… そんな目で見る教師に嫌気がさして、ワルさが加速していくのだが、それを救ってくれたのが4年生から卒業までクラスの担任となった先生だった。なにがどう素晴らしかったのか? 今では覚えてはいない。おそらく、そんな偏見無しで自分を見てくれたからなんだろう。少なくとも彼の影響でやたら本を読むようになっていったのはよく覚えている。

 そのきっかけは「ひと月に何冊読んだか」をクラスで競争させたことだった。あの時、ほぼ一日一冊に近い28冊を読破。が、読んでいた本はめちゃくちゃだった。いわゆる児童文学全集的名作の数々、例えば、『巌窟王』や『ガリバー旅行記』はもちろん、『海底二万マイル』や『地底旅行』といったヴェルヌのSFものなら納得だろう。ところが、夏目漱石の『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』が気に入って、意味もわからずに『行人』や『それから』を読んだと思えば、親父の本にまで手を出してプロレタリア文学の名著『蟹工船』どころか、カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスの『共産党宣言』まで読んでいた。当然、意味なんぞ、わかるわけがない。が、文字面を追いかけているだけで楽しかった。おかげで、ふつうなら苦痛となっているはずの勉強が面白くなって、どんどん成績が良くなっていった。

 成績優秀で体格も良くて、地域の健康優良児として表彰されたりするようにもなったのが小学校の4年生以降。といっても、今にいうイケメンではなかったから、からっきしモテなかったかもしれないが、その流れは中学校時代に引き継がれていく。部活でやっていたバスケット・ボールに夢中になりながらも、勉強も面白いまま。その頃、勉強しながら聞いていたラジオで音楽にはまっていくのだ。

花房浩一、ラジオを聴きながら猛勉強

ロックと革命への扉を開けたラジオに首ったけ!

 最初は、ただただ流れ出てくる音楽が面白くてたまらなかったぐらいだった。どこかで邦楽と洋楽を分別したがる人が多いようだけど、そんなの無関係。単純にヒット曲を聴いているだけで楽しかった。しかも、ヒット・チャートも多種多様な世界の音楽で溢れていた頃だ。アメリカやイギリスのロックやポップスのみならず、フランスのシャンソンにイタリアのカンツォーネもふつうに響いていた。って、実はシャンソンもカンツォーネも「歌」という意味にしか過ぎないと理解できたのはずっと先だったけど、映画音楽もラテンもなんでもあり。うろ覚えだけど、ウラディーミル・アシュケナージの演奏による「チャイコフスキーのピアノ協奏曲」なんてクラシックまでチャートに入っていなかったっけ?

 なかでも圧倒的な影響を受けることになったのは1970年に開局したFM大阪だった。それまで慣れ親しんでいたAMラジオと違って、音が良かったし、聞こえてくる音楽も何やら新しく響いていた。ちょうど国内外で60年代後半にわき起こった様々な新しい波が日本に襲いかかろうとしていた頃。数百万人の、あるいは、それをも越える犠牲者を出した第二次世界大戦の終わりから20余年、新しく生まれた世代が人口比率では多数派となり、彼らが旧態依然とした制度に反旗を翻し始めた時代だ。音楽のみならず、映画からアート、そして、社会そのものが大きく変化し始めていた。振り返ってみると、この新しいラジオ局を通じて接することになったロックが、そんな世界への扉を開けてくれたのかもしれない。

 特筆すべき番組がウイークデイの夕方に放送されていた「ビート・オン・プラザ」。他の番組ではヒット曲を中心に流すだけだったのに、ここではピックアップしたアーティストやバンドのアルバムをまるまるそのまま一枚、通して聴かせてくれた。ここで初めて、1曲の歌だけではなく、何曲も詰め込まれたアルバムの素晴らしさに魅了されていくのだ。といっても、この時点で我が家にステレオはなかったし、当然ながら、レコードなんて買ったこともなかった。が、ちょうど時を同じくして、親が買ってくれたのがカセット・プレイヤー。再生と録音のスイッチを同時に「がっちゃん」と押し込めて初めて録音できる大昔のタイプで、音質もそんなに良くはなかっただろう。が、そんなことはどうでも良かった。買ってくれた両親としては、ラジオで流れていた「基礎英語」でも録音して勉強して欲しかったんだろうが、録音するのは音楽ばかり… おそらく、このあたりから音楽ジャンキー人生が始まっていくのだ。

 真っ先にはまったバンドは、当時、ブラス・ロックと呼ばれたシカゴだった。それが自分の人生を大きく変えていくことになるのだが、そんなことは振り返ってから思うこと。この番組に接する前まで、大ヒットしたシングル「25 or 6 to 4(邦題:長い夜)」しか知らなかったのに、ここで彼らのデビュー・アルバム『Chicago Transit Authority(邦題:シカゴの軌跡)』に持って行かれることになる。で、どうなったか… それは次回のお楽しみ。

Chicago Transit Authority
Chicago Transit Authority - RECORD CITY

Chicago Transit Authority
 1)Introduction
 2)Does Anybody Really Know What Time It Is?
 3)Beginnings ...


レコードシティ限定・花房浩一連載コラム【音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜】は毎月第2・第4月曜日に更新です。

 


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花房浩一・音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜


花房浩一

花房浩一

(音楽ジャーナリスト、写真家、ウェッブ・プロデューサー等)

1955年生まれ。10代から大阪のフェスティヴァル『春一番』などに関わり、岡山大学在学中にプロモーターとして様々なライヴを企画。卒業後、レコード店勤務を経て80年に渡英し、2年間に及ぶヨーロッパ放浪を体験。82年に帰国後上京し、通信社勤務を経てフリーライターとして独立。
月刊宝島を中心に、朝日ジャーナルから週刊明星まで、多種多様な媒体で執筆。翻訳書としてソニー・マガジンズ社より『音楽は世界を変える』、書き下ろしで新潮社より『ロンドン・ラジカル・ウォーク』を出版し、話題となる。
FM東京やTVKのパーソナリティ、Bay FMでラジオDJやJ WAVE等での選曲、構成作家も経て、日本初のビデオ・ジャーナリストとして海外のフェス、レアな音楽シーンなどをレポート。同時に、レコード会社とジャズやR&Bなどのコンピレーションの数々を企画制作し、海外のユニークなアーティストを日本に紹介する業務に発展。ジャズ・ディフェクターズからザ・トロージャンズなどの作品を次々と発表させている。
一方で、紹介することに飽きたらず、自らの企画でアルバム制作を開始。キャロル・トンプソン、ジャズ・ジャマイカなどジャズとレゲエを指向した作品を次々とリリース。プロデューサーとしてサンドラ・クロスのアルバムを制作し、スマッシュ・ヒットを記録。また、UKジャズ・ミュージシャンによるボブ・マーリーへのトリビュート・アルバムは全世界40カ国以上で発売されている。
96年よりウェッブ・プロデューサーとして、プロモーター、Smashや彼らが始めたFuji Rock Festivalの公式サイトを制作。その主要スタッフとしてファンを中心としたコミュニティ・サイト、fujirockers.orgも立ち上げている。また、ネット時代の音楽・文化メディア、Smashing Magを1997年から約20年にわたり、企画運営。文筆家から写真家にとどまることなく、縦横無尽に活動の幅を広げる自由人である。

©︎Koichi Hanafusa 当コラムの内容・テキスト・画像等の無断転載・無断使用はお断りいたします。

 

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