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花房浩一コラム:音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜第2話 - 音楽ジャンキー、小学校でまさかの爆弾発言投下?!

花房浩一

10代から音楽にはまって、約半世紀で買い集めた音盤は数万枚。それを残して死ねるか!? と始めた断捨離に苦悶する、音楽ジャーナリスト・花房浩一の連載コラム、第2話。
音楽ジャンキー、小学校でまさかの爆弾発言を投下?! そこに秘められた背景とは一体…?

(まともに男のパンツ履きたいわぁ…)

 「僕にはな、おかぁちゃんが、二人おるんや」
 なにがきっかけか、そう口走ったらしい。その時、大阪深南部(南河内郡)で育ち始めた岡山訛りを持つ小学生の担任は目を丸くしたんだそうな。お妾さんを囲っている金持ちの子息... とでも思ったか?
 が、実際は真逆だった。あまりに貧しかったので、学校が休みになると、食い扶持を減らすために岡山の田舎にある叔母の下に預けられていたことが、その背景にある。その叔母がもうひとりのおふくろだった。

 なにせ貧乏だった。両親が結婚したときの家財道具はフライパンひとつ。5〜6歳までパンツは5歳ほど年上の従姉妹のお下がりで、男の子なのにおしっこをするときに... 穴がないというので、実に困った。それから10数年後に京都で生まれたバンド、憂歌団が「おそうじオバチャン」でヒットを飛ばすのだが、そこに出てくるのが「かわいいパンティ履いてみたい。けど、あたいのはとうチャンのパンツ」といったフレーズ。コミカルな歌の裏に、貧困の時代が垣間見える。おそらく、彼らも似たり寄ったりの体験をしている世代なんだろう。

憂歌団
憂歌団 - RECORD CITY

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 安保闘争に揺れた60年前後、全国で頻発したのが労働争議だった。その頃、岡山の某業界で初の労組結成を主導した一人が親父で、劣悪な労働条件に、ストライキで抵抗。会社が雇った暴力団の襲撃にも耐えて闘ったものの、挙げ句の果てに解雇され、新聞に顔写真が掲載される羽目になる。結局、この地で新たな職を得るのが不可能となり、逃げるように大阪に引っ越したのが小学校に入る前のことだった。

花房浩一、空手チョップ

 預けられた田舎は、当時、都会の底辺労働者より遙かに裕福で、すでにテレビは普通だった。手に汗握りながら、かぶりつくように見ていたのはなによりもプロレス。力道山デストロイヤーの壮絶な四の字固めは未だに鮮明に記憶していて、荒くれのアメリカ人にこてんぱんにやられながら、最後は起死回生の空手チョップで辛勝するという流れに影響されたんだろう。「大人になったら、プロレスラーになって悪役外国人レスラーをやっつける」なんて夢みていたものだ。

電蓄・シングルレコード・ソノシートで歌謡曲黄金時代の幕開け

 ここにはお古のパンツをくれた従姉妹がいて、彼女が夢中になっていたのが橋幸夫だった。すでに電蓄(卓上プレイヤー)もあって、ほぼ全てのシングルを集めていた。この時初めてレコードというものに接することになる。といっても、気に入ったのはレコードそのものよりも歌だった。彼女のおかげで、大ヒットした名曲の数々を何度も聞かされて、今でも口ずさめるほどに覚えている。それから数十年後、「もう聞くこともないし、これ全部あげるわ」と、段ボール箱を渡されて、開いてみるといっぱい出てきたのが当時のオリジナル。これは嬉しかった。昭和歌謡が国内外で再評価されて10年ほどか。大人気となっている橋幸夫の「あの娘と僕〜スイム・スイム・スイム〜」「恋のメキシカン・ロック」などがほとんどダメージ無しのミント状態で入っていたからだ。

橋幸夫
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フランク永井
フランク永井のソノシート・アルバム、全8曲入りのマガジン風。これが発売された1961年、サラリーマンの平均月収は2万円で、LPがその10%ほどの2000円で売られていた時代に、380円の値段が付けられていた。

 その他にも目に入ったのがソノシートやそれが組み込まれた雑誌風アルバムの数々。すでにこれがなにかを知る人もほとんどいないだろう。当時は片面にしかプレスできないぺらっぺらの、フロッピー・ディスク(これも死語か?)の中身のようなもので、レコード同様に聞くことができる。公の記録に残る、最古の平均月収のデータが1958年の17000円弱という時代に、シングル盤は300円。LPになると月収の10%前後と、まだまだ高価だったことから、レコードは貴重品とされ、より安価で製造できるこれが活躍したことがある。この時みつけた一枚がスティーヴ・マックイーンが主演したテレビ番組「拳銃無宿」のテーマ。ジャケに岡三証券と大きく印刷されていることから、おそらく、番組宣伝用に制作され、視聴者に配られたんだろうと察する。

岡三証券

 当時、テレビの影響力は絶大で、今では姿を消した小さなブラウン管の画面から数多くのヒットが生まれ、誰もが知っていたし、口ずさむこともできた。たとえ卓上プレイヤーやステレオがなかったとしても、どこかから聞こえてくるのがヒット曲。おそらく、今と比較すれば、遊びやエンタテインメントの世界が圧倒的に限られていたからだろう。60年代に歌謡曲が黄金時代を向かえることになる。

 


 


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花房浩一・音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜


花房浩一

花房浩一

(音楽ジャーナリスト、写真家、ウェッブ・プロデューサー等)

1955年生まれ。10代から大阪のフェスティヴァル『春一番』などに関わり、岡山大学在学中にプロモーターとして様々なライヴを企画。卒業後、レコード店勤務を経て80年に渡英し、2年間に及ぶヨーロッパ放浪を体験。82年に帰国後上京し、通信社勤務を経てフリーライターとして独立。
月刊宝島を中心に、朝日ジャーナルから週刊明星まで、多種多様な媒体で執筆。翻訳書としてソニー・マガジンズ社より『音楽は世界を変える』、書き下ろしで新潮社より『ロンドン・ラジカル・ウォーク』を出版し、話題となる。
FM東京やTVKのパーソナリティ、Bay FMでラジオDJやJ WAVE等での選曲、構成作家も経て、日本初のビデオ・ジャーナリストとして海外のフェス、レアな音楽シーンなどをレポート。同時に、レコード会社とジャズやR&Bなどのコンピレーションの数々を企画制作し、海外のユニークなアーティストを日本に紹介する業務に発展。ジャズ・ディフェクターズからザ・トロージャンズなどの作品を次々と発表させている。
一方で、紹介することに飽きたらず、自らの企画でアルバム制作を開始。キャロル・トンプソン、ジャズ・ジャマイカなどジャズとレゲエを指向した作品を次々とリリース。プロデューサーとしてサンドラ・クロスのアルバムを制作し、スマッシュ・ヒットを記録。また、UKジャズ・ミュージシャンによるボブ・マーリーへのトリビュート・アルバムは全世界40カ国以上で発売されている。
96年よりウェッブ・プロデューサーとして、プロモーター、Smashや彼らが始めたFuji Rock Festivalの公式サイトを制作。その主要スタッフとしてファンを中心としたコミュニティ・サイト、fujirockers.orgも立ち上げている。また、ネット時代の音楽・文化メディア、Smashing Magを1997年から約20年にわたり、企画運営。文筆家から写真家にとどまることなく、縦横無尽に活動の幅を広げる自由人である。

©︎Koichi Hanafusa 当コラムの内容・テキスト・画像等の無断転載・無断使用はお断りいたします。

 

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