10代から音楽にはまって、約半世紀で買い集めた音盤は数万枚。それを残して死ねるか!? と始めた断捨離に苦悶する、音楽ジャーナリスト・花房浩一の連載コラム、始まります。
自他共に認めるレコード中毒者が、苦悶の末に断捨離への道を歩み始めた、その経緯とは?
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花房浩一連載コラム【音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜】
かあちゃんに怒られる65歳の春
「あんた、なんや、これは? またレコードか。何枚買うたら、気が済むんや?」
と、またカミさんの雷が落ちる。これまで何度こんなことを繰り返してきたか... 「配達時間指定してたのに」と悔やんでみても、後の祭り。こっそり受け取って、棚の奥にしまえば気付かれないだろうと思っていたのに、完全にバレバレになっちまった。こうなったら、平謝りで言い訳するしか手はない。
「いや、これはな、めちゃくちゃな名盤でな、ずっと昔から探してたんや、ええやろ?」
とか、なんとか、顔色を見ながら、伏し目がちに口を開くことになる。結局は、諦めたような顔で受け入れてくれるんだが、それから数日はかなり神経を使ってカミさんに接することになる。そのストレスたるや...言わんもがなですな。
独り者の時はこんなことを気にすることもなかった。「お、あれ聞いてみたい」とか「これ、なんだろう?」なんて思ったら、懐が許す限り、躊躇なく何枚でも買っていたものだ。とはいっても、気が付くと数千枚のレコードに、その数倍はあるだろうCDで家中の壁という壁が占拠され、倉庫まで借りるはめになる。棚という棚にはつっかえ棒で地震に備えてはいるのだが、ひどい揺れを感じようものなら、真っ先に頭に浮かぶのは緊急避難よりも「棚崩壊の悪夢」。崩壊によって受けるダメージはもとより、順番通りに並べて整理するのにかかる膨大な時間を思い浮かべるのだ。
収集癖っていうのは一種の中毒症?
病気なんだろう。そう思う。もちろん、そういったコレクターってのは勲章ものだと思うし、それを続けている諸先輩は尊敬に値すると思う。それでもだ。レコードやCDに限らず、コレクターというのは、いつか面と向かって処置をしなければいけない病なのだというのも否定できないだろう。そう分かってきたのはここ4~5年か。遅きに失しているんだが、それを文字通り、目の当たりにしたのはこう問われたときだった。
「レコードやCDなんか、持っているだけでなんの意味があんの? 今持ってるヤツな、死ぬまでに何回聴くと思う?」
確かに、その通りだ。振り返ってみれば、初めてレコードを買って50余年、初期を除けば、購入以来、9割方は一度か二度しか聴いてないレコードやCDのようにも思える。特にCDだ。コンピュータにデータを吸い込み始めてからは、それが顕著になっている。ステレオでCDを聴いたのはいつの時代だったか、思い出すのに苦労するほどに遙か昔じゃないだろうか。どこかでその一枚一枚に「思い出」もあるだろうが、大昔に買ったレコードも、「持っている意味」って何? と考え始める。
一方で、ここ数年、アナログの魅力を再発見して、そういった昔のレコードを引っ張り出して再び聴き直しているのも確か。でも、本当に残しておくべき価値を持つものってどれほどあるんだろうかと、始まったのが「断捨離」というヤツだった。
断捨離へのザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
が、その道は果てしなく長い。そのプロセスで発見したことも多々ある。中古屋に売るのもいいだろうし、今流行のメルカリやヤフオクで処分するのもいいだろう。いい感じで査定されるためには、どうすればいい? そんなこんなを徒然に書き残してみようと、思い立ったのですが... どんなものでしょ。続けていいかしら?
レコードシティ限定・花房浩一連載コラム【音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜】は毎月第2・第4月曜日に更新です!
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花房浩一
(音楽ジャーナリスト、写真家、ウェッブ・プロデューサー等)
1955年生まれ。10代から大阪のフェスティヴァル『春一番』などに関わり、岡山大学在学中にプロモーターとして様々なライヴを企画。卒業後、レコード店勤務を経て80年に渡英し、2年間に及ぶヨーロッパ放浪を体験。82年に帰国後上京し、通信社勤務を経てフリーライターとして独立。
月刊宝島を中心に、朝日ジャーナルから週刊明星まで、多種多様な媒体で執筆。翻訳書としてソニー・マガジンズ社より『音楽は世界を変える』、書き下ろしで新潮社より『ロンドン・ラジカル・ウォーク』を出版し、話題となる。
FM東京やTVKのパーソナリティ、Bay FMでラジオDJやJ WAVE等での選曲、構成作家も経て、日本初のビデオ・ジャーナリストとして海外のフェス、レアな音楽シーンなどをレポート。同時に、レコード会社とジャズやR&Bなどのコンピレーションの数々を企画制作し、海外のユニークなアーティストを日本に紹介する業務に発展。ジャズ・ディフェクターズからザ・トロージャンズなどの作品を次々と発表させている。
一方で、紹介することに飽きたらず、自らの企画でアルバム制作を開始。キャロル・トンプソン、ジャズ・ジャマイカなどジャズとレゲエを指向した作品を次々とリリース。プロデューサーとしてサンドラ・クロスのアルバムを制作し、スマッシュ・ヒットを記録。また、UKジャズ・ミュージシャンによるボブ・マーリーへのトリビュート・アルバムは全世界40カ国以上で発売されている。
96年よりウェッブ・プロデューサーとして、プロモーター、Smashや彼らが始めたFuji Rock Festivalの公式サイトを制作。その主要スタッフとしてファンを中心としたコミュニティ・サイト、fujirockers.orgも立ち上げている。また、ネット時代の音楽・文化メディア、Smashing Magを1997年から約20年にわたり、企画運営。文筆家から写真家にとどまることなく、縦横無尽に活動の幅を広げる自由人である。
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