花房浩一コラム:音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜第16話 - アコースティック・ギターの練習でレコード収集癖加速 | レコードCDの買取はレコードシティ買取センター【安心・簡単・全国対応】

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花房浩一コラム:音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜第16話 - アコースティック・ギターの練習でレコード収集癖加速

10代から音楽にはまって、約半世紀で買い集めた音盤は数万枚。それを残して死ねるか!? と始めた断捨離に苦悶する、音楽ジャーナリスト・花房浩一の連載コラム、第16話。音楽ジャンキー化を加速させたのは間違いなくアコギを弾き出したこと。ギターの魅力を感じさせるアルバムを買い漁ることになるのだ。

「息子さんの場合、大学への進学は難しいと思いますよ」

 と、おふくろが担任の先生に言われたんだそうな。といっても、その話を知ったのは、ずっと先だったんだが、そりゃぁそうだろうと思った。3年生になる頃には、学期末テストなどで渡される成績はほぼビリ。勉強もしないで遊びまくり、音楽三昧の生活をしていたんだから、当然だろう。遅刻や授業をサボるのは日常茶飯事で、近所の喫茶店でタバコを吹かしたり、放課後には飲みに出かけたり... と、ものの見事にできの悪い「不良」高校生になっていた。

 あの頃、受験先に渡されると言われていたのが、日頃の素行を記録したような内申書と呼ばれる代物で、そこになにが書かれていたものやら。教師と繰り返していたのは激論...  といえば聞こえはいいんだろうが、なんだかんだと反抗して、突っかかっていただけのようにも思う。といっても、全校生徒の90%の支持を得て実現させた制服廃止が間違っているのは思わないし、「反逆」は正しかったと信じて疑ってはいない。ただ、運動の中心人物のひとりとしてそれを実現させたヒッピーもどきの高校生を彼らがどう見ていたのか... それは想像するしかないんだが、ひいき目に見ても、自分が品行方正な生徒だと教師の目に映るわけはなかった。

ギターケースの中にしまい込んでほとんど触ることもなった高校生時代の宝物、Yamaki F-170(かな?)。大学時代までは一応使ってたように記憶。でも、必死に練習をしていた頃...だけでもないかね。この時の経験ががギター音楽への扉を開いて、様々なタイプのギタリストのアルバムを集めるようになっていった。

 が、少なくとも、3年生になった頃までは、進学のことはな〜んも気にしてなかったように思う。なによりも大切なのは音楽で、その頃にはアルバイトで貯めた金で新しいギターも購入。最初のギターは18,000円のヤマハ製だったんだが、どんどん真剣になっていったんだろう、当時の物価を考えたらけっこうな値段になるはずの、7万円をつぎ込んでYamaki(ヤマキ)と呼ばれるメーカーのアコースティック・ギターを買っていた。

 なんでこのギターを選んだのか? よくわからない。単純に楽器屋が勧めてくれたからなんだろう。ボディの中を覗くと170という刻印が目に入るので、おそらく、これはF-170というモデルだと察する。あれから50年弱、このメーカーやギターに関してググってみると、アコギ好きには定評のマーティンにも影響を与えた... なんて記述もみつかって、ちょっと嬉しくなる。それはともかく、青臭い高校生にとって宝物になったこれを使って必死に練習。腕に磨きをかけていくのだが、ずっと先にこれが「宝の持ち腐れ」になるとは露ほども想像していなかった。

ブルース界の伝説のアーティストを記録した映像はそれほど残されてはいない。特にミシシッピ・ジョン・ハートのはきわめて希だと思いますが、これはピート・シーガーがやっていたテレビ番組「Rainbow Quest」の一部で、シリーズ化されて発表されたDVDからのカット。教則本で勉強するのと映像では大違い。左手でコードの形を保ってスライドするように弾いていたのねというのがよ〜くわかります。

 ある程度基本的なことを学んで挑戦したのは、愛して止まないカントリー・ブルースのスターだったミシシッピ・ジョン・ハートのコピー。親指でベースを刻み、他の指でメロディを弾くというのがベイシックなスタイルで、最初はレコード・プレイヤーに何度も針を落としながらやっていたものだ。でも、これだと盤が痛むというので、後に使ったのがカセット・テープ。その痕跡がジャケット裏に記載されているのは、以前書いた通り。面白いのは、あるミュージシャンと雑談でこの話をしていると...

「そうなんだ... でも、僕はまずほうきを持って、スタイルを決めるってのが最初だったな」

 と、立ち上がって、こんな感じだったとポーズを取ってくれたことがある。これは90年代半ばにUKでわき起こっていたトリビュート・シーンを代表するバンド、Tレックスタシーを招聘するに当たって、彼らのファンで友人だという布袋寅泰氏の自宅を訪ねて、ゲスト出演を依頼したときのエピソード。いわゆるロック好きな人が始める音楽へのアプローチってのは、こんなところなんだと驚いたことがある。そして、思い出したのが、高校生の頃、「はっぴいえんどのどこがロックやねん!」と言っていた、ストーンズ好きの友人が目の前で「Jumpin' Jack Flash」を演奏したときの光景。ギターを演奏するスタイルはキース・リチャーズで、彼のヘアー・スタイルはミック・ジャガーっぽかったかも。おまけに唇の分厚さも似ていたのが面白い。

ロック好きのT君とフォーク好きの筆者。高校の教室前の廊下で撮影されているような感じですが、見るからにその違いがわかります。彼の雰囲気はミック+キースって感じだったのです。消息しれずで連絡が取れないので、勝手に使っていますが、二人とも今や別人と思うので、許してね。

 いずれにせよ、どこかで誰もが大好きなミュージシャンを真似ようとするんだろう。自分の場合は、いわゆるフォーク系が入り口で、最も影響を受けたのが加川良。その彼がよく口にしていた、早川義夫の名台詞にしてソロ・アルバムのタイトル「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」のおかげか、一般的な「かっこいい」ってのとは対極を目指していた。当時、「かっこいい」とされて流行っていたベルボトム(フレア)のジーンズは、逆に「ダサい」と思えていたし、そんなスタイルに「決めている」と思っている彼らが滑稽に映っていた。その一方で、自分が好んだのはスリム・ジーンズにダンガリー・シャツ、そしてワークブーツ。といっても、その野暮ったい感じが、実は「かっこいい」と思っていたというパラドックスにはまり込んでいたというのが正しい。

 それはともかく、ファッションよりなによりも音楽であり、ギターだった。まるで取り憑かれたように惚れ込んだミシシッピ・ジョン・ハートに関しては、最初期の1928年録音から、文字通り、最後の録音となった『Last Sessions』(VSD-79327)まで、スタジオ録音作のアルバムは全て買い集めていた。さらに、そのギター奏法を勉強するために探し出したのが輸入版の教則本。そこには未知のミュージシャンの作品も掲載されていて、彼らのアルバムにも手を出していくことになる。ロバート・ジョンソンから、ライトニン・ホプキンス、ブラウニー・マギーとソニー・テリー、フレッド・マクダウェル、マンス・リプスコム... と、とっぷりとアコースティックなブルースにはまっていくのだ。

スコット・ジョプリンが生み出したラグタイムの超名曲といえば、「Maple Leaf Rag」。それを二人のギタリストが見事な演奏で聴かせてくれます

 さらには、そのギター奏法の魅力を否応なしに感じさせるアルバムにたどり着いたり... それがDavid Laibman & Eric Schoenbergの『The New Ragtime Guitar』(AHS 3528)。スコット・ジョプリンというピアニストが生み出したとされるラグライムを二人のギタリストがインストゥルメンタル・デュオで録音しているのだが、まるで魔法のような指裁き、フィンガー・ピッキングに聞き惚れるのだ。で、それを真似して演奏してみようと努力したのは覚えてはいるけど、さぁて、どこまでできたのか。

 時期が前後するかもしれないが、カントリーからブルーグラスのギターも気になり始めていた。そのきっかけを作ったのは、やたら名前の長いThe Nitty Gritty Dirt Band(ザ・ニッティ・グリッティ・ダート・バンド)だった。そういった要素を大胆に取り入れたカントリー・ロックのバンドで、彼らが1970年に発表した『Uncle Charlie & His Dog Teddy』が大ヒット。来日公演も果たしていて、その頃、大阪でライヴを見たことがある。そのライヴでバンジョーを演奏していたメンバー、ジョン・マッキューンが第一部の終わり、休憩の前に「僕たちちょっとベンジョー」という駄洒落を口にしてステージを離れたのがおかしかった。

3枚組LPの大作『Will The Circle Be Unbroken』(UAS 9801)。10年後の1986年には2枚組のLP『Vol.2』(UVL2-12500)が、そして、2002年にはCDでVol.3が発表されている。その三枚をまとめたCD&DVD『The Trilogy』で見る第二作のドキュメンタリー映像が素晴らしい。

 その大成功を経て彼らが取りかかったのが、ロックカントリー界の大御所を集めて、古き良き時代のアメリカ音楽を復活させようとしたプロジェクトだった。アルバムのタイトルは『Will The Circle Be Unbroken』。日本では『永遠の絆』と題された、なんと3枚組のLPセットが、この世界への扉を開けてくれたと言っていい。マザー・メイベル・カーターからロイ・エイカフ、アール・スクラッグス、マール・トラヴィスといったそうそうたる伝説のミュージシャンが録音に参加。このアルバムを経て、フィドル奏者、ヴァッサー・クレメンツの素晴らしさを発見し、ギタリスト、ドク・ワトソンやノーマン・ブレイクに惚れ込んでいく。当然のように、そのあたりのレコードを買い漁るようになっていた。特に、必死になってコピーしようとしたのが前者の超絶早弾きで、これは彼のスタイルを解説した教則本から多くを学んだように思う。

ニッティ・グリッティ・ダート・バンドの大傑作3枚組『Will The Circle Be Unbroken』(UAS 9801)は2トラックのテープにセッションをそのままライヴで録音したと言われている。同時に、それぞれのミュージシャンたちの会話も記録されていて、それがレコードに残されている。彼らがどんな話をしてどう演奏したのか... それがわかるとまたこの作品の魅力が増していくのだ。

 と、音楽ばかりで過ごしていても確実に現実がのしかかってくる。それが大学進学だった。当然ながら、底辺労働者の家庭に育った自分が私立大学に行けるわけがない。親のすねをかじろうにも、そんなものは端っから存在しないのだ。というので、脳裏をかすめていたのは「高校を卒業したら、職に就くか...」という選択肢。が、通っていたのは、一応、大学に行くのが既定路線のような進学校で、高校入学までは、成績優秀だった子供への親の期待もある。そこでたどり着いたのは、とりあえず、私立と国公立をそれぞれひとつは受験はしてみようという結論だった。もちろん、私立に行くのは不可能。貧乏人は国公立にしかいけない時代だったので、ダメだったら、当然、職に就く。浪人なんぞ、あり得ないと思っていた。

 だからといって、大学で勉強したいこともなかったし、将来のことなんぞ考えたこともなかった。頭に浮かんでいたのは「とりあえず、大学出ないといい職に就けないかもなぁ」ってことぐらい。それなのに、まるで絵に描いたようなダメ人間が、付け焼き刃のような受験勉強を始めることになる。目指すのは文系。なぜなら、数学とか理科化学あたりには興味のかけらもなかったから。加えて、高校で勉強していた数学なんぞ、理解の範疇を遙かに超えて皆目理解できなかった。

 すでに遙か彼方の昔のことなので、正確には覚えてはいないが、確か文系の場合には必須科目として現代国語、古典、英語に数学あたりがあって、選択科目に生物、日本史に世界史あたりを選んでいたように思う。数学に関しては、完全にお手上げで、他の必須科目はなんとかなるかもしれない程度。でも、選択科目に関していえば、「要するに、記憶すればいいんでしょ?」と腹を決めた。こんなことで大学に入れるテストにどれほどの意味があるのかという疑問はさておいて、単純に丸暗記を始めるのだ。

 そして、テストを作る側に立って問題を考える。入試を前にした1973年というとオイルショックでインフレになって「紙がなくなる、石鹸がなくなる...」と日本中が大騒ぎになっていた頃。実は、それが理由でレコード盤が薄っぺらになったという話も聞いている。また、日本国内で韓国野党の指導者、金大中(キム・デジュン)氏がKCIAに拉致され、暗殺されかけたというとんでもない事件も起こっていた。そのあたりに注目して、世界史や日本史に登場する関連事件や史実を軒並み丸覚えだ。すると、面白いように「当たった」。おそらく、選択科目に関してはほぼ満点ではなかったかと思う。

1973年の1年を振り返るニュースをまとめた記録。こんなのを見ていると、これから半世紀を経た日本が、どれほど進化しているのか、かなり疑問に思うのだが、この時のオイルショックがどれほどのインパクトを与えたか、想像できると思いますよ。

 受験したのは地元大阪の私立大学の社会学部に、生まれ故郷岡山の国立大学法文学部。なぜ岡山かというと、親戚が多いので、受験当日、あるいは、その前後の宿泊費がただになる... それだけの理由だった。なにせ、親に負担をかけたくないというだけで、深い意味なんてあるわけない。自宅を出てひとり暮らしをしたいというのに加えて、関西の国公立では合格なんぞあり得ないと考えていたという背景もある。

 幸か不幸か、もともと行く気のなかった私立が見事に不合格だったのに対し、国立はなにを間違ったのか合格という結果が届けられる。実際のところ、数学のテストなんて、問題の答えを「書けた」のが半分以下で、あとは白紙。おそらく、競争率が低かったってのもあるんだろう。計算上は2〜3人に一人は合格できる程度だったというのに助けられたのかもしれない。

 受験に関して、高校の担任と個別に話したときには「お前、浪人するなんだな」と、鼻であしらわれていた... ってこともあったんだろう、当然のように、ほったらかしで、この報告なんぞしてはいない。みんなスーツや学生服で姿を見せた卒業式も、友人と二人、ジーンズにネルシャツで出席。これで高校におさらばできるとでも思っていたんだろう。そして、大阪の音楽仲間とも別れて、岡山に向かうのだが、ここが音楽ジャンキーをさらに加速させるような場になるなんぞ想像もしてはいなかったのだが、現実は...


レコードシティ限定・花房浩一連載コラム【音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜】は毎月中旬更新です。

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花房浩一・音楽ジャンキー酔狂伝〜断捨離の向こうに〜


花房浩一

花房浩一

(音楽ジャーナリスト、写真家、ウェッブ・プロデューサー等)

1955年生まれ。10代から大阪のフェスティヴァル『春一番』などに関わり、岡山大学在学中にプロモーターとして様々なライヴを企画。卒業後、レコード店勤務を経て80年に渡英し、2年間に及ぶヨーロッパ放浪を体験。82年に帰国後上京し、通信社勤務を経てフリーライターとして独立。
月間宝島を中心に、朝日ジャーナルから週刊明星まで、多種多様な媒体で執筆。翻訳書としてソニー・マガジンズ社より『音楽は世界を変える』、書き下ろしで新潮社より『ロンドン・ラジカル・ウォーク』を出版し、話題となる。
FM東京やTVKのパーソナリティ、Bay FMでラジオDJやJ WAVE等での選曲、構成作家も経て、日本初のビデオ・ジャーナリストとして海外のフェス、レアな音楽シーンなどをレポート。同時に、レコード会社とジャズやR&Bなどのコンピレーションの数々を企画制作し、海外のユニークなアーティストを日本に紹介する業務に発展。ジャズ・ディフェクターズからザ・トロージャンズなどの作品を次々と発表させている。
一方で、紹介することに飽きたらず、自らの企画でアルバム制作を開始。キャロル・トンプソン、ジャズ・ジャマイカなどジャズとレゲエを指向した作品を次々とリリース。プロデューサーとしてサンドラ・クロスのアルバムを制作し、スマッシュ・ヒットを記録。また、UKジャズ・ミュージシャンによるボブ・マーリーへのトリビュート・アルバムは全世界40カ国以上で発売されている。
96年よりウェッブ・プロデューサーとして、プロモーター、Smashや彼らが始めたFuji Rock Festivalの公式サイトを制作。その主要スタッフとしてファンを中心としたコミュニティ・サイト、fujirockers.orgも立ち上げている。また、ネット時代の音楽・文化メディア、Smashing Magを1997年から約20年にわたり、企画運営。文筆家から写真家にとどまることなく、縦横無尽に活動の幅を広げる自由人である。

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